デパートもあった6000人の町は消えたのである

2023 ж. 25 Там.
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今回は北海道道356号築別炭鉱築別停車場線を走ります。
かつて羽幌町に存在した築別炭鉱に至る道です。
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Пікірлер
  • 自分の母は子供の頃、羽幌炭鉱で育ち閉山するまで石炭の選別の仕事をしてたらしいです。家賃はただ、暖房に使う石炭もただ、映画館もただ、パチ屋もあったそうです。待遇のいい会社だったて言ってました。落盤事故で初恋の人を亡くした事も言ってました。人生で一番思い出ある町だったそうです。閉山してから、群馬県に移住し現在にいたります。貴重な映像ありがとうございます

    @user-fz6pi3sp1s@user-fz6pi3sp1s8 ай бұрын
    • 炭鉱が当時どれだけ活況だったかを偲ばせますね。今後こんな時代は来ないだろうな

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t8 ай бұрын
  • 私も、羽幌築別炭鉱で産まれました。親父が炭鉱マンで、よく銭湯に行ってました。小1の頃に閉山になり、札幌へ引っ越しました。とても懐かしく思い出します🍀そんな私も、もう還暦になりました🎵

    @user-to7he3wh4y@user-to7he3wh4y8 ай бұрын
  • 炭鉱町の誕生から消滅まで、栄枯盛衰のはかなさよ

    @user-bs7ky8zr7d@user-bs7ky8zr7d9 ай бұрын
    • それが人の営みなんでしょうね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • この地で生まれ育った人たちにとって、この町が故郷なんですよね。子供たちの夢の跡になるのは残念なことです

    @kantomy5346@kantomy53468 ай бұрын
  • 二十年近く前に何度か訪れました。当時まだなんとか原型を留めていた病院跡や、とにかく威圧感の凄かった廃アパート、その頃は廃校ながら現役の施設として管理されていた太陽小学校も今はどうなっているのか気になっていました。廃線となった炭鉱鉄道の跡もどんどん分かりにくくなっているのでしょうね。貴重な映像ありがとうございました。またいずれ訪れてみたいと思います。

    @user-qt9pd1yy4d@user-qt9pd1yy4d9 ай бұрын
    • まあ、動画外で廃アパートだけは見ておきましたけどね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • 美しい…当時の先人達の魂、開拓者を汲む敬意、あまりにも素晴らしく美しき開拓冒険チャンネルだ。

    @user-oc7vk2lv8r@user-oc7vk2lv8r9 ай бұрын
    • 照れるナァ~

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • ありがとう 幼稚園から中学までここで 過ごしたの 今どうなっているのか  とても気になっていた 夢にも見るくらいよ 太陽小学校へ通い 中学へ通い ジャンプ台 スキー場 プール 病院 長屋 映画館 八幡様 ふふっ  ほんと 懐かしい

    @moyuna6763@moyuna67638 ай бұрын
    • 懐かしい場所をお見せ出来て良かったです

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t8 ай бұрын
  • ここは羽幌炭鉱だとばかり思っていましたが、築別炭鉱の遺構だったのですね。 かなり昔にここを訪れた時はアパートの辺りも入れた記憶があります。

    @doremi429@doremi4299 ай бұрын
  • 私も今年の6月に巡ってきました。 父親の実家が羽幌町ですが、今まできちんと見に行くことが無く 歴史を知って驚きました。 ゾヌさんのように記録を残してくださる方に感謝です。

    @uchigiri@uchigiri9 ай бұрын
  • いつもお疲れ様です。うっすらとした記憶で羽幌炭鉱鉄道,乗った記憶があったので,朽ちかけた?ノート確認しました。廃止前(1970年12月)の年,築別駅から築別炭砿まで30分弱,70円とのメモが。写真は未発見(何回か引っ越したので)です。

    @Geojp-ub5qe@Geojp-ub5qe9 ай бұрын
    • 貴重な体験ですね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • なんと痛々しく儚く美しい光景だろう… 途方もない人たちの思いが埋もれているかのよう… 惧れのような不安や確かにここにあったという寂しさが沸き立つ動画でした。

    @user-sh5hs3cn3j@user-sh5hs3cn3j8 ай бұрын
  • 昔の写真から築別炭鉱が相当栄えていたことが伺えますね✨ 選炭設備も初めて知りました👍 築別炭鉱の歴史を知ることができ、感謝致します😊

    @skydrivehokkaido@skydrivehokkaido9 ай бұрын
  • 17年前に数回訪れました。 また訪れたい場所です。 今の状況を見せてくれてありがとうございます。

    @sea-iyashi@sea-iyashi9 ай бұрын
  • うわぁ...この回一番好きかも... 盛者必衰の断りとでもいうかの如く綺麗に姿を消しましたねぇ... 当時の活気あふれる炭鉱街を想像すると当事者でもないのになんだか泣きそうに.... 当時の遺構が切ないですね....

    @user-nr7qj1kb6h@user-nr7qj1kb6h8 ай бұрын
  • 千歳市美笛にもかつて5,000人が住んでたらしいですね。 今では人気のない山の中に、その様な規模の集落があったと言うのは驚きです。

    @user-mq4dh2bd4d@user-mq4dh2bd4d9 ай бұрын
  • 羽幌の炭鉱で生まれ育ったという人と昔一緒に仕事したなぁ‥

    @user-qi2bl9vd3h@user-qi2bl9vd3h8 ай бұрын
  • この山奥に三波春夫先生が慰問に訪れたという伝説がある。

    @user-lt5ee8ht2r@user-lt5ee8ht2r9 ай бұрын
  • いつも興味深い探索動画ありがとうございます。

    @KamenRiderNocchi@KamenRiderNocchi9 ай бұрын
  • 最高でした。 そして行く先々でのルールもしっかり守っておられて見ていて安心感があります。

    @msm03cHYGOGG@msm03cHYGOGG9 ай бұрын
  • 太陽小学校跡の丸い体育館も最近崩壊してしまったみたいですね、、。築別炭砿が全盛期だった頃は社員なら社宅の家賃や水道等のライフライン、保育園の保育費やバスや汽車まで無料だったそうで、相当景気が良かった街も原野に戻ってしまいましたね。

    @user-zn7zb9lv2t@user-zn7zb9lv2t9 ай бұрын
    • 他に産業も無い場所だとアッと言う間に人が去りますね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
    • 去年か今年の頭辺りに崩壊したみたいな事聞いた気がする ただよく保ってたとは思う

      @user-is1iq7ub3i@user-is1iq7ub3i9 ай бұрын
  • 道北出身の私ですが、かつてこんな大きな町が存在してたなんて知りませんでしたねぇ・・・。 自分が産まれる少し前まで、こんな大きな町があったなんて。 道北でも中央の国道40号線の走る町出身なので、日本海側は今に至るまで一度も行ったこと無いので、 未知の領域でもあります。 時代の流れとはいえ、丸々大きな町が消え、そして自然に還っていく。 自然の力強さを感じると共に、かつてあった人の営みが消えていく寂しさ。 6000人なんて、今の自分の故郷の町の人口の2倍ですよ。 道東もだけど、道北も少子化の追い打ちもあって、過疎化が酷いです。 中国なり外資に土地が奪われないように願うばかりです。

    @ukwwwa@ukwwwa9 ай бұрын
    • 人が住んでいないと防衛上もよろしくありませんからね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • 以前は車で遺構の直ぐ側まで行けたのに、いつの間にか橋から先が通行禁止になってしまいました… 史跡産業遺構として保存するでもなく、朽ちて自然に還るのみなのでしょうね…

    @user-wd7xl7di7e@user-wd7xl7di7e9 ай бұрын
    • まあそれが自然なんですけどね わざわざ通行禁止にするのはなんかなあと思います

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
    • 橋の通行止めは強度の問題では無いかと思います 職員でも専門家でもないですが放置期間からの推測ですが

      @user-is1iq7ub3i@user-is1iq7ub3i9 ай бұрын
    • @@user-is1iq7ub3i橋の維持管理なんてしているとは思えませんものね

      @kmasaki10@kmasaki109 ай бұрын
  • かつて栄えた炭鉱の町が自然に還る様はどこか寂しく儚い感じがします😭 北海道のエネルギー産業を支えた歴史ある炭鉱町だったのでしょうね😢阿寒町にある雄別炭鉱跡も同じく自然の中でひっそり余生を送っております😊

    @user-kd9sv8ve9p@user-kd9sv8ve9p9 ай бұрын
    • 炭鉱遺構は専門外ですが、道路探索の延長上としては続けていきたいですね。雄別炭鉱、昔ネットの怖い話で頻出していたなあ

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • 太陽小学校出身の友人がいまして この夏思い立って訪ねたとのことでした ご案内のように校舎跡は見ることはできなかったと ただ還暦過ぎて故郷の地を踏むことができて良かったと言ってましたね ありがとうございました

    @user-lh7mm6dw2q@user-lh7mm6dw2q8 ай бұрын
    • そうですか…あなたの友人の思い、よく分かります。還暦を過ぎて、将来への思い等全くなく、過去が懐かしく 思い起こされるだけですね。私75歳、やはり炭鉱町近くに生を受けて、その繁栄ぶりを見て育ちました。 Google mapで現在の空からの映像を見て、あれはこの辺り、ここにはたしか炭住があったと昔をしのんでいます。

      @hn4806@hn4806Ай бұрын
  • 炭鉱跡や鉱山跡が大好きな私にとってはとても興味深かったです。 北海道は炭鉱が多くあったでしょうからこれからも炭鉱跡を巡る動画を期待しております‼️

    @jp0130@jp01309 ай бұрын
  • 1984年、北海道周遊中に立ち寄った廃坑跡がまさしく築別炭鉱跡でした。当時は炭鉱住宅にも入ることができて廃坑当時の新聞紙や雑誌が散らばっていて諸行無常の雰囲気が残ってました。

    @kurichan4-barcelona@kurichan4-barcelona7 ай бұрын
  • 自分が生まれるよりも前、同じ島(北海道)の中、それも内陸側に人の営みの大きいかな、そんな過去を知ることが出来ました。遺構後は汚染されていることもありますが、ここは無事に自然に帰れているようで、それだけでとても安心出来ました。

    @ash1943@ash19439 ай бұрын
  • 立ち入り禁止の橋から先ですが、 役所に連絡したところ快く許可してくださいましたよ!! ただ、クマとの遭遇と建物の崩壊の可能性が大きいので自己責任で、とのことでした。 アパート群の迫力には圧倒されました。 また、崩壊した太陽小学校へお邪魔しましたが、扉を開けたすぐに熊の剥製が置いてありこれには面食らいました笑笑

    @user-uv3sq7ih2b@user-uv3sq7ih2b7 ай бұрын
  • 初めましてゾヌ様 50数年前築別炭砿に住んでいました 4~5歳のころ閉山になり離れましたが 街並みの記憶が少しばかり残っています。動画を見て懐かしく感じました。中々行ける場所・距離ではないので動画を見れてうれしく思いました。ありがとうございます。

    @rup2101@rup21019 ай бұрын
    • はじめまして。 そうですか・・お住まいだったのですね。 当時はどんな賑わいだったのか、見てみたかったですね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • 今年のお盆に稚内まで海沿い通って行きましたが、時折姿を表していた廃線路みたいなやつは炭鉱の名残りなんですね😅

    @user-uq4on9tv7p@user-uq4on9tv7p8 ай бұрын
  • お疲れさまでしたゾヌさん。 羽幌築別炭鉱跡は久しく行ってなかったので非常に懐かしいです。最後に訪れたのは15年くらい前くらいでしょうか。病院跡は以前は二階建てで現存していたのですが、今ではもう面影もないのですね……。 春先に訪れると所々で残っている炭住跡や学校跡がかつての繁栄を物語っているようでとても感慨深いです。また訪れたいですねえ😊

    @jinsastcom@jinsastcom9 ай бұрын
  • 羽幌のユースホステルに泊まった時に同宿していた人に誘われて、ここに行ったことがあります。(なんと80年代) どこをどういったのか、記憶があやふやな部分もあるのですが、当初砂利道だったものが、途中で急に舗装道路になったと思ったら、森の中に沢山の建物があることに気づいて驚いたことはよく憶えています。やたらカラフルな建造物があると思ったら、銭湯の湯船だったり、炭鉱アパートの建物の中にクリスマスツリーがあったり、同じ部屋の中に昭和47年発行の新聞があったり、、、動画を拝見して色々なことを思い出してしまいました。

    @genz0222@genz02227 ай бұрын
  • いつもながらの広く走りやすそうな道路で、見ているだけで癒されます😊 地元の道路は狭くトリッキーで渋滞多発なもので😅

    @user-ll4sl2sf2p@user-ll4sl2sf2p9 ай бұрын
  • 私の祖父が羽幌炭鉱で働いていたそうです。 父が幼い頃に炭鉱での事故でなくなって一家でヤマを離れたそうです。 私にとっては羽幌炭鉱はルーツです。 ありがとうございます。

    @user-de8ck4jg5d@user-de8ck4jg5d7 ай бұрын
  • 炭鉱集落の多くが同じような栄枯盛衰の末路を辿っていることを見ると、本当に炭鉱事業に依存しきっていたんだろうなと感じられる 当方福島県出身で炭鉱といえば常磐炭鉱で栄えたいわき市がありますが、元々沿岸で古くから漁業が栄えていたり炭鉱終末期もハワイアンズのようなリゾート施設への転身が功を奏した事例もあるので、 そういった閉山後にとって代わるような要素を持たない限り炭鉱一本で栄えた集落は需要減や枯渇に直面した瞬間衰退を余儀なくされるのだろう

    @user-pw8ei1lf1r@user-pw8ei1lf1r9 ай бұрын
    • それでもがいた末に失敗したのが夕張・・

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
    • @@user-di9tv2kf8t 夕張の場合皮肉にも財政破綻した街としてある意味有名な観光地と化しているので結果オーライ…なわけないですね

      @user-pw8ei1lf1r@user-pw8ei1lf1r9 ай бұрын
    • 外の目線で冷静に考えれば、 鉱山採掘のために作った町なのだから、用が済めば消滅する事は必然というか、行政の効率を考えれば寧ろ望ましい結果ですらあると思いますが、 しかしそこで生まれ育ち、多くの時間と労力を注ぎ込んだ者にとっては、 かけがえのないものを失ったように感じますよね。

      @kakukakusikazika0@kakukakusikazika09 ай бұрын
    • @@kakukakusikazika0 ある程度規模があったので、大部分の人が移住してもなお一定数住み続けた人がいたために延命に成功してしまった。さらに観光業も中途半端に成功してしまったことが破綻に繋がった。皮肉なものですね。

      @MT-vj6cc@MT-vj6cc7 ай бұрын
  • 今回もお疲れ様です🚗 ここも行きたい所ですが…毎週ガソリン代が上がりゾヌさんだけでは無く、動画をあげてくださる方々には感謝しかありません🙇 道内も8月下旬になり、少し秋の気配も感じられる気温になりそうで、本格的にあちこち行きたいのですが、ガソリン代を気にしながら動くみみっちい自分がいます😢 交通事故と害獣事故にはお気をつけ下さい 🚗&🐻

    @akihikoh7809@akihikoh78099 ай бұрын
    • 普段の生活費を削って探索費用に充てています

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
    • @@user-di9tv2kf8t 寂しい事を言わないで下さい😭

      @akihikoh7809@akihikoh78099 ай бұрын
  • デイケアで働いてた頃、利用者さんに生まれを聞くと、炭鉱町出身が結構多い。 普段聞けない話が多いので、暇な時間によく傾聴しては喜んでくれました。 こういう動画を見て、今はこうだよって言うだけでも、当時はねって話が聞けます。

    @user-yh2wm3yj9i@user-yh2wm3yj9i7 ай бұрын
    • お年寄りの話は貴重ですね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t7 ай бұрын
  • 北海道出身の ガードマンです。兵庫県の加古川線の駅跡は大事に歴史を残しとるのに 北海道の廃線跡は 一部の駅跡以外は 農地になって跡形がないのが 悲しい。💦 でも 動画のように レポートしてくれる方がおるのは 現状を知るためにも 嬉しい事です。

    @user-vc1ht8im2l@user-vc1ht8im2l8 ай бұрын
  • この辺りはかつて炭鉱遺構を見に訪れたことがありますが、意外にもまだ栄華を極めた頃の痕跡があるんですね。 でも羽幌線がなくなって随分と経つ現在は存在感が薄れてしまいましたね。

    @user-hp1kn2pd6o@user-hp1kn2pd6o9 ай бұрын
  • 去年羽幌の農家でアルバイトをしてました、丁度築別炭砿に行く農家での仕事で結局は羽幌炭鉱は見ないで終わりましたが、お世話になった家の高齢の方が繁栄していた頃の羽幌炭鉱の話を何時も懐かしんで話していました、このビデオ良かったです

    @user-te4vf5oi4k@user-te4vf5oi4kКүн бұрын
  • お久しぶりでした!此処も懐かしい場所で仕事で30年前程には毎年行ってました!その頃でも何もなく緑の村で行き止まり川で釣りもしましたね~羽幌に行かれたら町の中の山崎の蕎麦屋でよく天ぷら蕎麦と肉蕎麦とか食べたものです!いゃ、久しぶりに見て懐かしかったですが 田舎は熊が凄いので気を付けて下さいね!安全を祈ってます😉

    @user-rs8eg1qv9z@user-rs8eg1qv9z8 ай бұрын
    • 私はこの日、北のにしん屋さんに行きました。

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t8 ай бұрын
  • 知らなかった❗凄く勉強になりました 素晴らしい所を教えてくれてありがとう

    @user-mn6rw2bd1j@user-mn6rw2bd1j12 күн бұрын
  • 楽しく拝見しました。昨年、その近くの苫前から朱鞠内へとR239を走ったことを思い出しました。

    @b707b787@b707b7879 ай бұрын
  • 最近ずっと太陽小学校や名羽線のことばっか考えてたのでタイムリーで嬉しいです!いつも探索お疲れ様です、貴重な映像をありがとうございます!

    @lets_miyamoto@lets_miyamoto9 ай бұрын
    • そりゃ奇遇でしたな

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
    • 10年前に訪れたときは、今は通行止めになってるとの橋を渡って、交差点脇にあった病院跡や、更に進み5階建てくらいのアパートとか消防署跡と、煙突は歩いて近くまで見に行きました。太陽小学校の校舎は現役なのかな?と思うくらい綺麗でしたが、円形体育館の窓ガラスが割れてたのを見てあらためて廃校なんだと感じました。今では潰れてしまった館内も、そのとき写真を撮っておけたのは今から思えばラッキーでした。

      @user-gl3pf4lo3v@user-gl3pf4lo3v8 ай бұрын
  • 少し涼しいね、お疲れ様です。 デカい遺構が残ってますね~、かつてはここにもオロロン鳥が行き来していたのかな?

    @user-qb8gu9jb3i@user-qb8gu9jb3i9 ай бұрын
  • 去年のこの道を走りましたが、当時の地図を見て衝撃を受けました。 本当にこの道の両脇に家がたくさんあったのか、想像にもできませんでした、 昔に思いを馳せられる哀愁漂う道です。

    @hamanasu1457@hamanasu14579 ай бұрын
  • こういうなんっっっっにも無いところに家を建てて住んでみたいなぁって思う 北海道良いよなぁ

    @Xx-PITPAT-xX@Xx-PITPAT-xX8 ай бұрын
    • 一週間くらいなら良いかもしれませんけどねぇ

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t8 ай бұрын
  • 築別炭鉱跡探索お疲れ様でした💪6000人もの街があってその存在が今の姿はまるでイトムカ銀山のそれを彷彿させますね🤔ゾヌさんはイトムカ銀山行かれた事ありますか?

    @user-qo5jz9pz3i@user-qo5jz9pz3i9 ай бұрын
    • まだそこは行った事が無いですね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • 昔仕事で、僅かですが羽幌町に住んでました。当然海岸線にある今の羽幌町ですが、市になる寸前で廃坑になり、急速に縮小した町ですよねえ・・・ ちなみに当時も今もそうですが、観光地でもある天売島、焼尻島も町に含まれるため、観光資源と漁業関係は充実している活気のある街ではあります。 ただし人口は6000人程度と、観光地としてだけではなく、なにか町自体に住みたいという魅力が欲しい所ではありますねえ。 ちなみに冬は吹雪けば即、主要道が封鎖されて陸の孤島になりがちなところはあります(仮に通過できてもホワイトアウトが滅茶苦茶怖い・・・)

    @nishiki3244@nishiki32448 ай бұрын
  • 築別の川向こうに円形校舎がありました。その付近も三毛別の奥も、化石が良かったです。

    @user-sy3ee7ns3d@user-sy3ee7ns3d3 ай бұрын
  • 羽幌町もあと10年炭鉱が保てば水増し事件も起きず市になった可能性もあったでしょうね。今はミズダコや甘エビなどの海産物と焼尻サフォークが名産です。 道道741号上遠別霧立線上羽幌方面に進んだら出てくる上羽幌炭鉱の遺構もなかなか見応えがありましたね。

    @kitaharuka-001@kitaharuka-0019 ай бұрын
    • 上遠別霧立線は未成トンネルとかが気になりますね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
    • @@user-di9tv2kf8t R239の霧立側からトンネル前まで気になって行ったことがありますが、トンネル入口に蜂の巣を見つけてそそくさと退散してきた覚えがあります。あの奥気になりますね…

      @kitaharuka-001@kitaharuka-0019 ай бұрын
    • そうそう、人口水増し事件が連日放送されていましたね。悪いことは、チクられる。

      @user-sy3ee7ns3d@user-sy3ee7ns3d3 ай бұрын
  • 空知の炭鉱で栄えた所と違い、街が完全に消滅している場合もあることを確認出来る内容ですね。

    @hiro825yc@hiro825yc9 ай бұрын
    • 国道も通りませんからね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • これだけ整備されていれば観光としても訪れることは出来そうですね。案内版なども建物跡に付いていますし。

    @user-lo1ux7qz2x@user-lo1ux7qz2x8 ай бұрын
  • 道路は残っていて平場がかつての炭鉱住宅街の風景は、夕張市清水沢清湖を連想しました。もっと縮小版ですけど同じような風景ありました。

    @pk8450@pk84509 ай бұрын
  • いつも興味深い動画をありがとうございます。札幌民なので動画で取り上げられたところに実際にドライブすることもあるのですが、これが一冊の本になっていると便利かなと思ってしまいます。 NHKの「ブラタモリ」が本になっていますが、そんな感じです。動画から地図帳に落として見所を書き込んだりしてそれも楽しいのですが、、、 よく小樽に行くのですがトンネルの脇に道があるとつい行ってしまい旧道のトンネル跡を見つけたりしまいます(ゾヌ病?笑)。

    @hikarudaisuki2006@hikarudaisuki20069 ай бұрын
    • 安全な範囲で脇道探索楽しんで下さいネ

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • ゾヌたんお疲れ様です。 魚そこいら全部探索しましたよ。竪坑櫓は歩いてすぐ行けたよ! 三つ葉やカタバミもつまみ食いしながらの探索になりましたぜ!

    @alone-hd5se@alone-hd5se9 ай бұрын
    • 立入禁止ばっかりであんまり見どころが無かったですね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • 北海道育ちの子供たちは高校を卒業して車を持って友達と遠くにドライブに行くことが多いんじゃないでしょうか。 ここまでマニアックな所は行かずとも雄大な北の大地を仲間と走るのは世界が広がった気がして楽しかった記憶が浮かんできました。

    @user-bd5zj2if4l@user-bd5zj2if4l7 ай бұрын
  • 今から20年ほど前に肝試しで行きました。病院ももう少し建物は残っていました。 団地みたいなマンションが8棟ほど残っていた記憶があります。久々に見て非常に懐かしさを感じました。

    @tomofumi0820@tomofumi08206 ай бұрын
  • アクセスはクルマ一択ながら、近代産業遺構として整備すれば、リアル博物館が出来そうですね。

    @DoraReco_20XX@DoraReco_20XX9 ай бұрын
    • 今はどこもかしこも立入禁止で見れなくしますから

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
    • @@user-di9tv2kf8t さん お金の問題と悪目立ちする輩があとを絶たないから…でしょうかねぇ。 日本の財産なのに、本当に勿体無い事で。

      @DoraReco_20XX@DoraReco_20XX9 ай бұрын
  • 途中の太陽小学校跡付近までは道路沿いに電柱が立っているのでそのあたりまでは今も人家があるようですね。ポツンと一軒家が放送されるようになってからは、過疎地域の山の中を走るときは電柱があるかないかを確認する癖がつきました。笑

    @aikosweet4062@aikosweet40629 ай бұрын
  • 30年前に初めて行った時も既に廃墟しかなかったけど今は建物が減ったっぽい…病院跡も当時はほぼ無傷でしたし…小学校の校庭はキャンプ場に転用されていたけど廃止になって久しいです。 立ち入り禁止区域が凄く増えてあまり楽しめなくなったので最近は行ってないです。

    @cf4ea456@cf4ea4569 ай бұрын
    • 撮影度外視で入っていく分には誰も見ていないでしょうけどね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • 炭鉱と言えば、爺さんが栗沢町上美流渡で副社長していた万字炭山ってのがありまして、小学生の頃は大きな町だったのが、中学生の頃は爺さんしか住んでないゴーストタウンでしたが、最近Googleマップで見たら再び栄えてて 栄枯盛衰からの繁栄って感じで時代を感じたのを思いだしました。

    @miko-mark@miko-mark9 ай бұрын
    • え?万字って今栄えているんですか!?

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
    • ゴーストタウンから脱却したってレベルですけどね。 私が中学生の頃(35年前)は祖父の家ともう1つの家だけだったんです。 この前気になって訪問したら美流渡から上美流渡にかけて綺麗に整備されてて驚きました。

      @miko-mark@miko-mark9 ай бұрын
    • @@miko-mark ありがとうございます

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t8 ай бұрын
  • 自分は炭鉱に育ったんで・・この現実はグッときますねぇ~・・

    @nonnooz7407@nonnooz74078 ай бұрын
  • いつかは遺構としては後世に歴史として残すだろう。 それまでの道路のお手入れ維持大変ですね。

    @user-ss4im1mo6o@user-ss4im1mo6o9 ай бұрын
  • いつも楽しませていただいています。 羽幌地区は炭鉱を軸にするか鉄道を軸に見るかで2倍楽しめますね。立ち入り禁止エリアが前よりも増えていってますが、往時の雰囲気は感じられるので素晴らしい場所です。

    @nostalgia3086@nostalgia30869 ай бұрын
    • 加えて、かっての商店街や街並みに焦点を当てるのもみたいです。 約50年前、羽幌炭鉱が閉山した翌年に、羽幌を訪ねました。 学生の私は、海岸沿いのユースホステルを利用して、お盆前後でも、海が荒れ泳げないのを残念に思ったものです。 貧乏旅行で、買い物や外食は余り出来ませんでしたが、あの時の街並みを記憶の隅から思い起こします。

      @user-lm6lu8ob1t@user-lm6lu8ob1t9 ай бұрын
  • めっちゃくちゃキレイな画像、聞きやすいナレーション、豊富な映像ありがとうございます‼️ それにしてもキレイな道路ですね。。誰も走らないと荒れないのかな。。道路って汚れたり経年劣化したりしにくいんですかね。。 めっちゃ使う道でもっと汚いとこありますよね。。

    @query1000@query10008 ай бұрын
    • 汚れて劣化しているって事はそれだけ使われている証拠ですよ

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t8 ай бұрын
  • 北海道の天気って現実はこんな感じでくもりやら雨やらガスやらで 旅行会社で使われるような青空はたまにしかない

    @oo-iq3zw@oo-iq3zw8 ай бұрын
  • 道南上ノ国の早川鉱山も寂しさがありますね。

    @user-rt2uw2wk1d@user-rt2uw2wk1d9 ай бұрын
  • 紋別市の鴻之舞の辺りにも鉱山で賑わった街があったみたいですね 機会があれば訪れてみたいものです

    @oroshi_yakitori@oroshi_yakitori9 ай бұрын
    • あすこは子供の頃心霊の話をよく聞いたな

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • 面白い案内でした。

    @user-zp3kb9uw4f@user-zp3kb9uw4f8 ай бұрын
  • 太陽小学校ですか。懐かしいですね~!以前、体育館から侵入して校舎の玄関まで行ったら熊の剝製があって一瞬ヤバい!って事がありましたね。産業のない所はいずれ人は居なくなる。数十年後の北海道の姿かなって気がします。

    @kikuniryusi@kikuniryusi9 ай бұрын
  • こんな所にデパート!??

    @kyoto-nanamidori@kyoto-nanamidori8 ай бұрын
  • 太陽小学校は一時期宿泊可能な研修施設に転用されてましたよね 小学生の頃にレクで泊まったことがありますが、周りにあまりにも何もなくてただ只管怖かった記憶があります笑

    @user-ur8lg4vx9w@user-ur8lg4vx9w8 ай бұрын
  • もし石炭が見直されて炭鉱復活するなら露天掘りになったりするのだろうかと偶に思ってたりします コンクリ部分は壊すの面倒だからなのか何処でも残ってる気がしますね

    @user-is1iq7ub3i@user-is1iq7ub3i9 ай бұрын
  • 北海道の炭鉱遺構探索って、こわいよね。ほぼすべての炭鉱が山奥だから、その辺から熊さんがヤッホーしてきそう。

    @himura.kensin@himura.kensin8 ай бұрын
  • 凄い楽しい動画です!

    @user-kj6rq3vz4b@user-kj6rq3vz4b8 ай бұрын
    • ありがとうございます

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t8 ай бұрын
  • 栄枯衰勢っていう単語がこれ以上無いほど似合う場所ですね…… 当時の炭鉱産業の規模の大きさがわかりますね

    @user-whitesnow1728@user-whitesnow17287 ай бұрын
  • 羽幌市街地の郷土資料館に、昔の曙地区のにぎやかだった写真が展示されています。

    @user-sy3ee7ns3d@user-sy3ee7ns3d3 ай бұрын
  • 道北の消えた炭坑街だと、豊富浜頓別線沿いの日曹炭坑なんかも有りますね 昔は旧炭坑街へ曲がるところから侵入禁止でしたが今は整備されたみたいですし、是非とも動画化を!

    @ahooo9578@ahooo95789 ай бұрын
    • 地図にチェック入れておきます

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • もののけ姫感ありますね 寂しい感情がありつつも もし人類がいなくなったら緑が主役なんだろうと思います

    @men720@men7208 ай бұрын
  • 熊が出そうで怖い😨

    @user-vk9jc1yt5y@user-vk9jc1yt5y9 ай бұрын
  • おぉ太陽小学校、名前と円形のドームだけ聞いたことがあります 炭鉱の町の小学校だったんですね

    @YAMAryrc@YAMAryrc7 ай бұрын
  • 画像1分の所は、初めて北海道に行った時に快晴でとても感激した景色だった事を今でも覚えています。 羽幌町はオロロンで街に入る角にホクレンのGSや北のにしん屋さんで昼食とか羽幌のユースホステルなどに宿泊したりでごやっかいになってますが、炭鉱跡の方には行った事が有りません。 友人から幽霊が出そうな雰囲気だったと聞かされているからです😅 今回ゾヌさんの動画でその様子が拝見できたので嬉しいですが、肝っ玉の小さな私はやっぱり行く事は無いと思います

    @cb1000sf1@cb1000sf19 ай бұрын
    • 北のにしん屋さん、この撮影の時に寄りました。 昔より値上がりしていたなあ。当たり前か

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
    • @@user-di9tv2kf8t 何でも値上がりですね。。。_| ̄|〇

      @cb1000sf1@cb1000sf19 ай бұрын
  • 選炭選別所の遺構は圧巻さもそうですがなにせカッコいいですね いずれ朽ちてなくなってしまうのでしょうがなんとか映像記録だけは沢山残って欲しいものです

    @user-wn3ze7ex1r@user-wn3ze7ex1r9 ай бұрын
  • 都市部の道路=輸送・移動 田舎の道路=主役  道路の脇に森林が広がる景色が素晴らしい⭕

    @yellowgreen1589@yellowgreen15899 ай бұрын
  • 炭鉱で栄えた所は皆同様な 衰退を辿ってるネ💦

    @yukishita-319@yukishita-3199 ай бұрын
  • 天塩山地の道道工事は、民主党政権になったときに、軒並み中止されました。八ッ場ダム問題でモメた時期です。最近は草刈りなどの管理をしながら、予算がつくのを待っているようです。

    @user-sy3ee7ns3d@user-sy3ee7ns3d3 ай бұрын
  • 廃炭鉱町というから、もしやテレビ東京の『家ついて行ってイイですか』で放送された場所かな? って思ってたら あっちは小平町達布のほうだった

    @77CB400FOUR@77CB400FOUR9 ай бұрын
  • 是非遺構のドローンでの撮影もお願いしたいです。

    @user-ii1ek3hp8x@user-ii1ek3hp8x9 ай бұрын
  • おっ!羽幌回だ! しかしながら、自分は、羽幌といえば、【沿岸バスの例のきっぷ】のイメージ…😅

    @yumau-Norimomono@yumau-Norimomono9 ай бұрын
  • 通り抜けもできない山奥の鉱山の集落はそうなるよね・・・ もともとある集落から通える距離にある鉱山でないと繁栄の維持ができないんだなぁと 鉱山で繁栄を築いた秋田の鹿角・小坂なんかは元々集落が存在したところで鉱山開発をしたから、閉山してしばらく経った今でも集落はちゃんと続いてるし。

    @user-ju3cp6ok9r@user-ju3cp6ok9r8 ай бұрын
  • 一度は行ってみても良いかもしれません。廃校円形の体育館もあるし、廃虚の団地もあります。その他樺太から逃げてきたときの歴史も色々勉強できるので見応えあります。博物館もあります。

    @user-qc4bm5zd5d@user-qc4bm5zd5d8 ай бұрын
  • 名寄遠別線に行って欲しいです!

    @user-wy6rh1uv1g@user-wy6rh1uv1g9 ай бұрын
  • 留萌羽幌は冬に行くと死ぬほど吹雪いてるから超怖い。 5m先も見えない。

    @HIDEIDA@HIDEIDA8 ай бұрын
  • 356号築別炭鉱築別停車場線と言う道路名を聞いただけで、衰退した理由が推察出来てしまう悲しさ。

    @2010atoz@2010atoz8 ай бұрын
  • 面白かった!

    @user-eg2jv2fl6e@user-eg2jv2fl6e8 ай бұрын
  • 昔は羽幌は炭鉱で栄えてたって 爺さん言ってたなぁ

    @Mikhai2291@Mikhai22919 ай бұрын
  • 羽幌三山や小平町達布の天塩炭砿、沼田町の昭和炭砿・浅野炭砿は空知中部の炭砿とはまた違った趣きがあって好きですね。 幼少期の頃に一度だけ緑の村となった太陽小学校に宿泊したことがありますが、今思い返せば本当に貴重な体験でした。 円形体育館の天井をずっと見ていて気持ち悪くなったのも懐かしいです。 数年前に築別中学校・幌北小学校・曙小学校といった町内の廃校舎が立て続けに解体されたのは残念と言わざるを得ません。

    @maxaniki@maxaniki9 ай бұрын
    • 「はぼろ緑の村」時代の晩年は、♨(鉱泉の沸かし湯)で日帰り入浴もやっていたので、目当てで訪れたことがあります。確か階段で2階に上がった(旧)職員室が浴場だったと思います。当時、町中にはぼろサンセットプラザ(道の駅)ができて間もない頃で、それまでこの管区で貴重だった温泉客は皆そちらに流れてしまったせいか、他の入浴客は誰も来ず独り占め状態でした。 太陽小学校の丸い体育館も受付のおばちゃんが「どうぞどうぞ!」と入り放題で、置いてあったバスケットボールでドリブルしながらシュート練習したのも懐かしい思い出です。 当時「中学や高校の運動部が合宿でよく訪れる」とのことでしたが、まさか完全無人地帯になって体育館も崩れ落ちてしまうとは…。

      @Su----@Su----9 ай бұрын
    • 別施設として利用されていた時期もあるんですね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • ここらへん炭鉱廃墟群があちこちにあって、車道からの距離も近いので、 土日とかは廃墟マニアにわりと会います。 山中に放置された廃墟の方が、立ち入り禁止とかの表示がなくて法的に問題なく入れます。 廃墟を訪れるなら真冬は雪、夏は背丈より高い雑草が生えているので、 春先の、熊が冬眠から目覚める前くらいがおすすめ。

    @asakurya3434@asakurya34349 ай бұрын
    • 廃墟はそこまでの道のりの面白さによって行くかどうか決めますね

      @user-di9tv2kf8t@user-di9tv2kf8t9 ай бұрын
  • 子供の頃 羽幌で育ち ここまで自転車で行きました。

    @kaorihayashi-ng2ko@kaorihayashi-ng2ko7 күн бұрын
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